名前 グエン・ヴァン・ティン 1975年生まれ 41歳 男性 寝たきり
母親も息子も一回り小さくなった。数カ月前に息子が死にかけた。窓も締め切り。施設長が窓を開けた。
母と二人暮らし。三兄弟。上に二人の女の子。正常。近所に住んでいる。結婚している。
1979年父死去。母一人で育ててきた。
あまり意識がない。反応があまりない。目もあまり見えない。食事は母が介助。あまり良く聞こえない? 反応はある。寝たきり。トイレはいけない。そのままで排泄。オムツはしていない。小さく刻んで食べさせている。
体は清拭のみ。意識があまりはっきりしないので、何をしても甲斐がないが、時に暴れることもあり。
ブラウン管のテレビが有り。衛星放送を受診?
母は、1942年生まれ。家から離れられない。あとの面倒は、母の兄弟が面倒を見てくれるかもしれない。姉がいる。
毎月 130万ドン 援助金あり
ポカリスエットを500ミリのペットボトルに溶解して使用方法を教えた。下痢をしたり風邪をひいたりして、口から食事ができない時には、これを飲まして欲しい、と伝える。
新谷さんが、介護用品の使い方を教授。三時間ごとの体位変換も指示するも母ができるかどうか。左肘の褥瘡が痛そう。介護用のマットを寄贈。
介護用品、医薬品、支援金寄贈
■四軒目の家庭訪問
施設長カム・ティ・ツゥイさんのお宅を訪問しました。
被害者名 グェン・ヴァン・クイさん(息子) 1985年生まれ
息子さんは筋肉が低形成の枯葉剤被害者としてのADSLのように次第に筋力が低下している
血漿交換(?) 血友病のモノクローナル交代 点滴。USA/Los Angels Baxtor 社製
antihemophilic factor Human M factor 点滴している。母は医者。
定期的に病院で実施。脈が乱れてしまう。輸血をしている?
骨髄機能が低下?⇒1/10 一回 月三回 1,000万ドンかかる。x3
歩くのが困難。食事は可能。トイレは杖を使って自分で行ける。
父親(夫) 施設で一緒に働いている。兵隊として、いまも頭に弾丸が残っている。
「心」、「忍」の額あり。二人で月600万ドン 軍人恩給
米に対する感情 ⇒ アメリカには、今では恨みはない。製薬会社に対する損害賠償で戦う。
息子さんの交流仲間はあまりいない。病院での友達だけ。
奥さんは看護師さんだった。点滴に来てくれた時に知り合った。
奥さんはツゥイさんの施設で働いている。
一人息子さんとお孫さん
■五軒目の家庭訪問
名前 ベ・トゥ・ハー 1985年生まれ 女性
生後から肢体不自由児 明るい始終笑っている
食事の介助 母親 綺麗に身の回りを整頓している。椅子に座って排便。
夜は垂れ流し状態 母が髪を切る 母親は明るい性格
三階の部屋にはおんぶして運ぶ。地域の枯葉剤被害者仲間が支援に来てくれている
120万ドン 枯葉剤被害者としての支援金
母はハインさん 60歳
ジアンさん 父 従軍 枯葉剤浴びる 63歳 視力低下
■六軒目の家庭訪問
被害者名 ディン・ティー・トゥオン
昨年も訪問した。
1981年 生まれ 36歳 女の子 一人 中学生 11歳 日曜日のみ休校
14歳の時にバクザン市でオランダの医師から右膝手術を受けた。
注文服 オーダーメイドの服を作成
既製服が多くなってきたので売上も減ってきた。
子どもは異常無い
三輪のバイクで買物に行けるようになった
天候で左膝が痛くなることあり。今のところ悪化はなし。
通院していない。
母のみ現存。同居している。父2004年死去。父が枯葉剤被害者としての死去。
■七軒目の家庭訪問
■八軒目の家庭訪問
娘 障害児 ディン・ティー・ズオン 1976年生まれ 40歳 しきりに手をつかむ
ロッキングチェアに寝たきり。食べることは片手でできる。今は家にいるのみ
神経系の薬、パーキンソン病の薬を内服
トイレ、体の清拭介助が大変。
一人っ子、一人娘、姉は早くに亡くなった。枯葉剤被害者認定開始前
父 ディン・イー・ニオップ 85歳
中西部で従軍 12年間 1950年から1962年まで従軍
母 チャン・ティー・ヴェ 81歳 元気
■十軒目の家庭訪問
綺麗な家。洗練された家電。豊かな印象。
青年 グェン・フー・トゥー 1972年生まれ、44歳
少し知能低下 精神不安定
15−16歳ころから 精神不安定になり自分を時にコントロールできなく
統合失調症?
毎日薬を服用 体は問題ない 毎月 40万ドン 精神病に対して?
妹二人 結婚している。心臓病 あるも普通に生活
父 75歳 母 65歳
ふたりとも中西部で従軍 父のみ枯葉剤を浴びる
当時は枯葉剤とは知らなかった。単なる除草剤だと思っていた
全身に浴びた ⇒ 池で体を洗った
父の病気 DM 手足がしびれる
父のみ枯葉剤被害者として認定 ⇒ 枯葉剤被害者として毎月 160万ドン
この家は娘さんの嫁ぎ先 一緒に暮らしている
■六軒目の家庭訪問
昨年も訪問した。
1981年 生まれ 36歳 女の子 一人 中学生 11歳 日曜日のみ休校
14歳の時にバクザン市でオランダの医師から右膝手術を受けた。
注文服 オーダーメイドの服を作成
既製服が多くなってきたので売上も減ってきた。
子どもは異常無い
三輪のバイクで買物に行けるようになった
天候で左膝が痛くなることあり。今のところ悪化はなし。
通院していない。
母のみ現存。同居している。父2004年死去。父が枯葉剤被害者としての死去。
■七軒目の家庭訪問
被害者男子 チァン・アイン・ファン 1980年生まれ 36歳
母 レ・チィー・チエン 1950年生まれ
父 チャン・ヴァン・フン 70歳
時々、テンカンの発作を起こす 食事の世話も必要 寝たきり
クワンチの戦場で5年従軍 枯葉剤を浴びた 体中にそう痒
若い頃からバレーボールで鍛えた。軍人精神で生きている。
枯葉剤の散布は森の鳥達が感知して騒ぐ⇒穴をほって濡れタオルをして頭を隠したりした。避けようとはしたが影響を知らなかった。
三人の子どもたち 長女(1977年生まれ)は元気 長女の子に掻痒症
長男 知恵遅れ?、普通に生活している。近所に住んでいる
末っ子 この子 寝たきり
2000年の枯葉剤の集団検診は、娘さんの結婚問題があり受けなかった。
毎月 130万ドン 父も167万ドン 支援金
町内の仲間から応援してもらっている。
日本の大学のグループが応援に来てくれた。私達が二度目。
ロッキングチェアに寝たきり。食べることは片手でできる。今は家にいるのみ
神経系の薬、パーキンソン病の薬を内服
トイレ、体の清拭介助が大変。
一人っ子、一人娘、姉は早くに亡くなった。枯葉剤被害者認定開始前
父 ディン・イー・ニオップ 85歳
中西部で従軍 12年間 1950年から1962年まで従軍
母 チャン・ティー・ヴェ 81歳 元気
■十軒目の家庭訪問
青年 グェン・フー・トゥー 1972年生まれ、44歳
少し知能低下 精神不安定
15−16歳ころから 精神不安定になり自分を時にコントロールできなく
統合失調症?
毎日薬を服用 体は問題ない 毎月 40万ドン 精神病に対して?
妹二人 結婚している。心臓病 あるも普通に生活
父 75歳 母 65歳
ふたりとも中西部で従軍 父のみ枯葉剤を浴びる
当時は枯葉剤とは知らなかった。単なる除草剤だと思っていた
全身に浴びた ⇒ 池で体を洗った
父の病気 DM 手足がしびれる
父のみ枯葉剤被害者として認定 ⇒ 枯葉剤被害者として毎月 160万ドン
この家は娘さんの嫁ぎ先 一緒に暮らしている